quatre septembre

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when we were orphans

会社の隣のカフェで読みきった本。

カズオ・イシグロ の 「わたしたちが孤児だったころ」

第一次大戦前、1930年代の上海から始まる租界育ちのイギリス人の話。
カズオ・イシグロって名前はよく知ってたし、「日の名残」は映画で見たけど
読むのは初めて。この本は、ハードカバーで出版されたとき、多分2001年ごろに
日経新聞の書評で取り上げられてそれ以来ずーっと読みたかったんだけど
やっとハヤカワepiで文庫落ちして読めました。

書評で読んだときは(といっても5年前の話だから曖昧だけど)
「探偵小説」というふれこみだったけれど、これは探偵小説じゃないなあ。
単に主人公が探偵なだけだ。彼の両親失踪という「事件」や、
彼が仕事として調査している様子の描写はあるけれども、
読者に事件そのものや、探偵としての彼に対する印象を喚起させるような描写が
まったくないもの。彼は調査を行っていても、そして探偵になりたい、という欲求を
もっていても、「探偵」として生まれついた人ではなくて、
彼自身の上海でのバックグラウンドが彼に探偵という一色彩を与えているというだけで
やっぱり全ては当時の上海、というものがメインの部分なんだろうな、と思った。

これを英語で読んだという友達がいて、「全然分からなかった」といっていたけれども
それは英語の読解力のせいじゃないと思う・・・。日本語で読んでもよく分からなかった。
わたしがよく分からなかったのは、主に彼の両親が失踪した事件にまつわる部分なんだけど
最後で事件の全容は明らかになるけれども、中盤において何故主人公が
そう思うのか、という部分が全然理解できなくて彼が何を求めて何をやっているのかが
さっぱり分からなかった。しかしこれは当時の上海の様子や、世界情勢、イギリスと
中国と日本の関係についてよっぽど深い素養がない限り、分からないだろうなあ
と思った。

具体的には、

○何故彼が両親は生きていると思ったのか
(常識的に考えると誘拐事件というのはすごくリスキーな犯罪で人質を生かしておくのが
ものすごく難しいので、事件後10年以上たっているのに主人公が両親が生きていると
思う根拠がまったく分からない)
○サー・セシル・メドハーストは上海で何ができると思ったのか、何をしたのか
(これは主人公もだけど、一介の政治家や探偵が、大戦に向かっていくような国際情勢の
中で一体全体何を救うことができるのかよく分からない。状況を救う為に、世界のために、
という大義名分を小説中の人物はよく言うけれども・・・)
○モーガンが突然昔暮らしていた家に連れて行くあたりもつながりがよくわからない・・・。
イギリス人である、というだけで、かつて住んでいたいたというだけで家をいきなり(今もそして当時も)所有権のない他人に返したりするものなの?

のあたりが非常に気になる。
というわけでわけが分からないままにそれでも先を読まずにはいられない魅力がある。
それはすべてやっぱり1930年代当時の上海という街の魅力なんだろうなあ。
その街の中で彼らは喪失し続けることしかできないように思えた。
なくして、なくして、もうその後の人生もなんかが空虚というか欠落したままというか、
失われ続けることは終わらない気がする。
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by app_engineer | 2006-04-04 03:38 | 読んだ本
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日記というより週記


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